平均的日本男性

暇つぶしのドキュメント

約1分で読める記事を中心に、やってみた/試してみた暇つぶしを系統別でご提案!

『偉い人→胸像になる』なら、もしかして『胸像が作られる→偉い人になれる』の図式もあり得る?

胸像がある人って偉い人ばかりだよな……

「偉い人だから胸像になる」というのは分かるけど、一般人だって自分の胸像が作られてほしいという願望はあると思います。筆者もその一人。とは言え、そのハードルは高い。でも自分自身で作ってさえしまえば、逆に偉さも後から付いてくるのでは?

挑戦&検証してみました。

偉い人は胸像になる

先日、年始旅行として仙台へ行きました。旅行全体として楽しかった中で、初日に仙台市博物館青葉城という場所に行きました。

青葉城はご存知 伊達政宗の建てたお城跡で、有名な伊達政宗騎馬像があります地震による破損のため2023/1現在は東京へ修繕出張中で騎馬像自体はないんですけどね…)。そして仙台市博物館は仙台だけでなく東北の歴史などを展示する博物館とのこと(こちらも改修中のため2023/1現在は入れません…)

そんな状況だとはつゆ知らずに両方を訪れたわけですが(両スポットは徒歩10分くらいの距離)、意外にもその周辺を歩いているだけでもけっこう楽しかったわけです。

中でも見どころとしてはやはり胸像でしょう。ご覧ください。

だれこれ??

とお思いでしょう。こちら、元仙台市長の島野武さん らしいです。博物館の中に入れなかったのでよくわからないんですが入り口付近にこの胸像がありました。おそらくは仙台市に対して多大なる貢献をされた方なんだと思います。

 

また、ちょっと歩いた所にはこの方の胸像もありました。

こちらはご存知 伊達政宗公。なんでも、実はこの胸像が初代の騎馬像に使われていたものらしく、戦争の時にこれ以外の胴体や下半身部分が徴収されてしまったそうです。この部分はどこかに打ち捨てられていたようで運良くこのように残っているとのことでした。

 

一般的に言う胸像は全国どこにでもあると思いますが、共通して言えることとしては「胸像になる人は偉い」ということ。上に挙げたお二方も相当に偉いからこそ後進がこの人たちを称え、胸像として遺しておこうと思い立ったわけですね。その行為のなんと尊いことか…。

 

そんな感銘を仙台で受けたんですが、同時に「自分も胸像にされたい」という邪な思いも湧き出てきました。だって後世に名どころかその顔から胸まで遺されるなんてかっこいいじゃん?

でも無名な一個人がなにか功績を残して胸像にされる、という流れはなかなかに現実味がありません。だとすれば先に胸像さえ作ってしまえば、逆に「なんか偉い人」みたいな感じにもなりえるのではないでしょうか。

 

 

 

偉くなりたいので自分の胸像を自分で作る

とは言え、いきなり等身大を作り上げるのはかなりリスキー。場所的な問題や材料費の問題もあります。

と言うことでまずはダイソーの粘土を使い、10分の1くらいのスケールで自分の胸像を作ってみることにしました。

ダイソーの粘土を初めて触った上、そもそも粘土細工なんて小学生以来ぶりくらいです。若干不安ではあるものの、けっこう粘土自体の自由度は高そう。

 

一旦こねくり回してどのように攻めていけばいいか勘案したところ、頭部分と胸部分をこのように分けて、別々で成型した後に引っ付けるという工程が良さそうな感じがしました。

 

よし、イメージはバッチリ!

ちなみに本当の自分を胸像にしても似てるかどうか判別が付きにくいなと思ったので、今回は自分のアイコンを胸像にしようと思っています。まぁアイコンも自分で作ったものだし、自分を似せて作ったものなので実質自分の胸像と言えるはず。

この画像もちょうど胸像と言えるし都合がいい。実際に作る時、胸部分はもうちょっと大きくしようかな。

 

それでは取り掛かりましょう。

10倍速

粘土細工って意外と楽しいなぁ!というのが率直な感想。また、事前の作戦も功を奏したため、まったく箸にも棒にも掛からないという状態には陥りませんでした。こうやって自分の手で作るものが思った形に作り上げられる様は創作欲が満たされてると感じて楽しいです。社会人になって忘れがちな感情を取り戻せます。シンプルに物を作って楽しむ、それだけで尊いことなのかもしれません。もしお子さんがいらっしゃるのなら、「創作」というものを積極的にさせてあげた方がいいと感じました。

 

 

 

完成した自分胸像がこちら

まぁそんなこんなで完成したのがこちら⇓

 

 

 

 

 

 

むっずかしいorz

作ろうとした元画像と比べても酷い出来だ。

一生懸命作ったんですがね。

作ってる途中思ったのは、「どこを基準として形作っていけばいいんだ?」という点。この感覚は絵を描くときと似ているかもしれないけど、胸像の場合は3Dのため更に基準がわからんという状態でした。正直作ってるときは完成が見えなさすぎて、まさに「一寸先は闇」といった感情を抱いていました。胸像作りってこんなに怖いのか……。一発で、しかも固まっちゃうから短時間で作らなければいけない、という状況も怖いポイントです。

 

完成後、「なんだこれ、もしかして素人が手を出していい領域ではないのか?」と思い、Googleで調べてみるとこんなページがあった。

e-douzou.com

リンク先を見れば分かりますが、よくある等身大の胸像はなんと税込みで130万円するそう。材料費がもし半分の75万円だったとしても製作費に75万円掛かっていることになる。

もちろん製作に時間が掛かるのもあるだろうけど技術料によるところが大きいと感じる、それは自分がやってみてわかる。だってとんでもないもん、技術。こんな言わば無の空間から写実的な物体を作り上げるってとんでもないって。ヒトを作りたもうた神様レベルだって。神技師かって。

 

ちなみに筆者の作った自分胸像は製作時間およそ2時間。サイズもまぁだいたい実寸の10分の1くらいだし、材料も100円だ。まだなにも成していない一個人の胸像はこのくらいの価値が妥当なのかもしれない。そして逆に、偉人の胸像というのはもちろん製作者がとんでもない技術者というのは間違いないけど、やっぱり胸像になる偉人がそもそもすごい人だということですよね。すごい人だからすごい技術者が胸像を作る、当然の図式なのかもしれません。

 

と言うことで、タイトルで掲げた『胸像が作られる→偉い人になれる』という図式は全然ありえない、という結果でした。自分の胸像が作られたとしても、その時の自分の身分相応の胸像が出来上がります。

もしかしたら『偉い人→胸像になる』は矢印ではなくて『偉い人=(精巧な)胸像になる』ということかもしれません(偉い人“だから”胸像になる、ではなく偉い人“は”胸像になる)。胸像は自分の鏡。

いつか立派な胸像を作ってもらえるように日々精進です。

 

 

 

暇つぶし評価

【最大評価★5つ】

時間つぶせる度:★★★

楽しさ:★★★★

実用性:★★

費用の掛からなさ:★★★★⋆

おすすめ度:★★★⋆

 

おわり