先日、引っ越し前の家に帰る用事があった。
この日は超夏日でめちゃ暑かったんだけど、晴れすぎてて太陽を浴びていたら頭が退行して小学生レベルになっちゃってた。
なのであの頃の通学路を歩きたくなった。
なんか怖かったあの頃
6年間ずーっと同じ道を往復してたわけだ。
朝は基本、同じ地区の子で構成された班で登校し、帰り道では友達と一緒に遊んだり喋ったりしながら帰っていた。
しかしタイミングによっては一人の時もあった。
6年間ずーっと同じ道を歩いているとさすがに飽きる。「この道ってどこ繋がってるんだろう…」とか「あの階段登ったらどうなるの?」とかは常に頭の片隅にありながら登下校する日々。
そんな好奇心はあったけどその先に行くのはなんか怖かった…!
小学生だからこその臆病さ、力の無さ。「知らない道行って帰れなくなったらどうしよ…」と行動より前に思っちゃう子どもだった。なので結局はその道の先を6年間で知ることはなかった。
時が経ち、いい大人になった。
もはや迷子になる恐怖は皆無。大人はスマホで地図を見れるし、帰る時は車だ。
子どもの頃抱いていた漠然とした恐怖など大人パワーでねじ伏せることができる。
行ってやろうじゃないか、あの頃行けなかったあの道を。
大人パワーで踏破する
車で引っ越し前の家に向かう。
田舎だとは思っていたけど、住んでいた当時は「めちゃくちゃな田舎ではない」と勝手に思っていた。が、久しぶりに帰ってきたら田舎すぎる。
でも最高。最高に夏が合う。ぼくのなつやすみが始まりそう。
行き
家で用事を済ませ、早速外にでる。
家の近くでも行けてない道はたくさんある。
草が生えすぎている。見覚えがある公園だがただただ草が生えていた。
最近の子どもは公園で遊んだりしないのかな…、それとも少子化かな…。
しばらく歩くと登校する時の集合場所だったところに着いた。
この謎の祠みたいなのまだあったんだ。てか今見てもなにかわかんないな。大人になっても謎のことはたくさんあるんだね。
さて、また歩いて行ったことがない道を目指す。
この先は確か道が目の字になっていることは知っている。帰り道の脇ではあったけど、わざわざ遠回りすることを分かっていてこの道を行ってみようという気にはさすがに当時ならなかった。ので行ってみよう。
上まで登りきると小さな公園があった。こんなところにも公園があったのか。こちらの公園はけっこう手入れされている印象だな。雑草も生えてないし花壇的なものもある。
さっきとけっこう近いけどこんなに差が出るものなんだね。
外は灼熱だけど、ここまで歩いていて非常に楽しい。あの時こうだったな、ああだったなとかいろいろな回想シーンが思い浮かぶ。駄菓子買ったり、途中でおばあちゃんの家寄ったりさ…、涙でそう。
そういえば小学生の頃は登校するのに歩いて50分くらい掛かっていたと思う。暑くてもわりかし外を歩くのが苦手じゃないのはあの時の経験が生きているような気がする。
そんなこんなで通学路を突き進む。
自分としてはここからが本格的な通学路という認識でいる。
この道も今見るとけっこうワクワクする。あの頃は確かまだこの停止線以降ら辺からはジャリ道だったと思う。子供ながらに「ここ以降は歩行者の道だ!」とか思っていたな。まぁ普通に車も通るけど。
この道を進むとこんな場所に出る。
ここすごくないか。田舎すぎないか。しかもここジャリ道だったわけだからね。
左側に竹が見えるけど、ここに入ってちっちゃい竹を取って「タケノコ!」とかはしゃいでいたのが懐かしい。
さらに進んでいくと陶芸所のような建物がある。瀬戸なので窯業が盛んだったりする。瀬戸物の瀬戸なのだ。まぁ僕が小学生の時くらいには下火になってきていた印象ではあるが、ここもまだ残っていてなんかホッとした。
ここまででだいたい半分くらい。
しかしながら、この時点でもうすでに気持ちが悪いほどにノスタルジックな気持ちになっていた。もう行ったことない道とか関係なしに“良さ”があふれ出ている。
頭の中ではスピッツがずっと歌っていた。スターゲイザーか美しい鰭を。
いや、春の歌も歌ってたな。
そんなこんなで分かれ道。
ここ、よく一緒に帰ってた友達と別れる分岐路。あぁあなんかエモい。学校方面は右の道なので帰りは右奥から歩いてきて、この交差点で別れてたんだよね。
この時の僕は確実にランドセルを背負って歩いていたわけか…。そんな尊い光景を演出している時期が僕にもあったんだねぇ。
ちなみに先ほどの分岐路の左側の道は遠回りになるけど学校方面ではあるのでたまに通っていた。さきほどの右側の道の途中にあった階段を登れば左側の道に合流できるのだが…
階段はなくなっていた。
手すりが一応残っているから分かるけど知らない子は知らないだろうな、ここに階段があったこと。
あー!ここあったな~そういえば。
こういう、車が通れない細道って行きたくなるよね。小学生の頃は行けなかったけどそういえばここはどこに繋がるんだ?
しかし行ってみればなんのことはない。大通りの道路に出るだけだった。
あの時感じていた恐怖は何だったんだろう。今となってはあの時の感情が非常に些細なものだったように思える。
あの時の怖さが当たり前に怖くないこの状態は成長したってことなんだろうけど、当時の感じ方は留めておきたいなと思った。「こんな小さなことを怖がっていたんだな」と自覚しておくのは大事な気がする。いまや怖くないけど、これを怖いと感じる小学生がいる事実があるということ。何事も、初心を忘れなければ傲慢にならない。
そこからちょこっと歩くと、小学校に着いた。
あー心が洗われる…。歩いただけなのに心が洗濯されました。
ここまで歩いた中のところどころで記憶がフラッシュバックのように思い出された。それこそ、あの時のにおいや感じ方までもふっと沸きあがってくるようだった。当時の通学路を歩くのは、たぶんアハ体験と同等の効能があると思う。
帰り
ひとしきり小学校を眺めたりしたので帰路に着く。
ここまででかなり満足していたので帰りは流しながら帰る。
この道の左を行くと、行きの道で潰れていた階段の上に着くことができる。確か階段を登った先は広場兼駐車場のような感じだった気がするが…
こんな悲しいことある?太陽光発電とか一番ワクワクしない…
というか、だからあの階段が潰れていたわけか…。余計に悲しい。
気を取り直して散策。
中学か高校生くらいには廃園してしまっていたがめちゃくちゃ久しぶりに見たら遊具も全部撤去されてるじゃないか。
まっさらになってしまった園は物悲しさが際立つな。今でも思い出せるその遊具やあの遊具で園児の僕は元気いっぱい遊んでいたんだぜ…。
最後の〆はけっこう好きだった公園で休んでから帰ろう。
その公園は当時でも「すごい道だ」と思っていた道を抜けた先にある。
この公園ね、水琴窟があるんですよ水琴窟(すいきんくつ)。知ってる?水琴窟。
水を地面にかけ筒状のものを地面に立てて耳を当てると、水が地中の空洞?を伝う音が聞こえるっていう最高にアツいアトラクション。
あの時は無駄に聞いてたなぁこの音。さて久しぶりに聞いてみ…る…
見るも無残に手入れがされてないじゃないか。残念ながら地中の空洞を水が伝う音は聞くことが出来なかった。
おわりに(田舎レベルと記憶力)
久しぶりに通学路とその脇道やらを歩いたが結構あっという間だった。
驚いたのは意外と覚えていることが多かったということ。あの家はああだったとか、あの場所は元は〇〇だったとか、究極を言えばどこに犬の糞が落ちてたかすら部分的に覚えていた。
たった6年の記憶なのにすごいことだよ。直近の6年間のことなんて記憶がかなりうっすらしているのに。
また、改めて見るとかなり田舎レベルが高いことも認識できた。だって通学路で信号を渡るの2回だもん。
田舎レベルMaxが10だとしたら6~7くらいには迫っているんじゃなかろうか。みなさんの通学路は田舎レベルいくつですか?
最終的に、トータルでは1時間40分ほどのウォーキングをしていたようだ。
歩くのはまったく苦には感じなかった。
ただ、記憶の中では活気があった場所が、実際には朽ちていたり無くなっていたり別のものに置き換わっている様子は何とも言えない悲しさがあった。
暇つぶし評価
【最大評価★5つ】
時間つぶせる度:★★★
楽しさ:★★★★★
実用性:★★★
費用の掛からなさ:★★★★★
おすすめ度:★★★★⋆
おわり