平均的日本男性

暇つぶしのドキュメント

約1分で読める記事を中心に、やってみた/試してみた暇つぶしを系統別でご提案!

暗渠道を歩く

 

先日、テレビで暗渠道を紹介してた。番組自体は見てないけど、その言葉自体が聞きなれないから記憶に残っている。

「暗渠ってなんだ?」という単純な疑問。調べてみると、「地下に設けられていて外からは見えない水溝」とのこと。

kotobank.jp

その番組では排水溝とか用水路に蓋がされてあれば暗渠、みたいな捉え方をしていて身の回りにある「なんかイイ感じの暗渠を歩いてみる」みたいな趣旨の内容っぽかった。

番組は横目で見た程度だったけど、なんか良い趣旨だなと感じた。ほんのりワクワクするような気持ち。テンションがめっちゃ上がるわけではないけど、イイ感じの暗渠を見かけたらおそらくちょびっと嬉しい。通ってみたくなるようなイイ感じの細道とか、そういったものに通ずる言葉では表せない良さがある気がする。

 

自分の家の周りはどうなのか。そもそも暗渠はあるのか。

前日の多量飲酒による体の不調とその罪悪感を感じつつ、晴れた日に散歩することでそれらを塗り替えようとする謎の足搔き、そして暗渠を探すという名目でそれを果たそうとしている自分がそこにいた。散歩したら飲酒分がチャラになるという思考は、カロリーの高い食事を食べるときに申し訳程度の野菜を食べる思考とほぼ一緒だ。

さておき、家を出て少し歩くと意外と近くに暗渠はあった。普段は意識してなかっただけみたい。「でっけー排水溝だ」くらいにしか思ってなかったけど暗渠だったのか。

まぁでっけー排水溝でもあるか

 

散歩を続ける。家から徒歩30分圏内にはどのくらい暗渠があるんだろうか。

ふと遠くを見ると、こんなに春めいてきてるのに遠くの山はまだ雪を被ってる。休日だと言うのに小学校には子供達とその親がいて元気にサッカーをしていた。車も少なく音がない休日の昼下がりをその声が彩っている。若干の二日酔いを治そうと休日を使っている自分に対してあまりにも対比的で眩しく映る。「自分と同い年くらいの親御さんもいるんだろうなぁ」と少し孤独を感じつつ通り過ぎた。

 

小学校の周りには暗渠があった。いや、コトバンクによるとこれは明渠か。蓋がある水溝が暗渠と言うのに対して、蓋がされていない水溝は明渠と言うらしい。

そういえば自分の母校のまわりにも水門付きの明渠があった気がする。

そこから歩いてるといくつか水門付きの明渠を見かける。昔を思い出すけど、自分の通学路にもいくつか明渠があったな。排水溝の両サイドは歩けるくらいのスペースがあったから、ガードレールに阻まれてたりしてもショートカットとか言ってたまに通ってた記憶がよみがえった。

 

こうやって知らない道を歩いていても当然ながら親近感はない。けど、いくつか見かける暗渠や明渠を見ていると「誰かはこの抜け道をショートカットと言って通っているかも」とも思えてその姿を妄想してしまう。

この道も誰かにとっては通学路か。そう考えると景色の見方も変わり一気に親しみを覚える。

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途中、小腹が空いたので休憩がてらスシローに寄った。

中途半端な時間かつ中途半端な腹減り具合だったから普段食べない唐揚げ軍艦とかを食べてみる。寿司屋で食べる唐揚げは、なんだか冒涜的。唐揚げ軍艦は自分的には挑戦的なチョイスではあったけど、まだまだ保守的なチョイスでもあるなと自分で思う。こういう時に冒険的に食べるのは結局まずくはないとわかっている無難な唐揚げ軍艦的なもので、自分にはまだナスを頼む勇気がない。

そんな風に思いつつも、これまた保守的に定番のハマチを頼んだらシャリがめっちゃ小さくてちょっと面白かった。最近はこんなことになってるネタもあるのか。

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ふぅ 食べすぎちゃった。

スシローを出て腹ごなしにふらっと歩いていたら偶然めっちゃデカい暗渠を見つけた。しかもちょうど暗渠と明渠の境目がある所だったのでちょびっとテンションが上がる。なんだかんだで家からの30分圏内には10個くらいの暗渠があった。注視していると意外と生活の周りには暗渠と明渠が張り巡らされていることがわかった。つまり、ちょびっとテンションが上がる要素は家の周りを探してみればいくらでもあるのかもしれない。そう考えるとハッピーである。

………気付いたらもう16時か。帰りは電車で帰ろうかな。帰って夕寝でもしよ。

 

おわり